現代美術最先端・社会芸術論
人類の美的感性と倫理未熟性
ARTの触媒力・酵素力を問う
ARTは実在に作用してるか
 
意識と行為のもつれ
栗木道夫 : Curator of this site 
 
 
 
Complication
「コンプリケーション」とは
 縺れ(もつれ)、錯綜、紛糾
複雑、やっかいな問題
思ってもみなかった問題
合併症、併発症
内面のもつれ、社会のもつれ
健全なもつれ、稚拙なもつれ
創造的もつれ、破滅的もつれ 
 
自分の性格はどう身に付いたのか?
社会制度はなぜ現在の姿をしているのか?
自分自身で確認することを大切にしたい、という動機と意志があるだけ
曖昧でも、納得できる原因を知りたい
流されるまま、無自覚に生きたくない
自分を自分の選択で作り変えたい
この作業に必要と思われることをし、必要と思われる何かを創る
それだけの事です
社会問題に対しても同様な作業をします
 
他人の作った梯子の途中を自分の足場と勘違いしない事が重要。「自分の仕事」が「梯子を作った人と同じ」になってしまう。自分の足場に対する点検と発見が作者の実力。このセンスがなければマンネリから抜け出せないのは自明で価値もない。力量のある鑑賞者が最も関心を寄せるのは「作者の足場」であり、既存の視点での上手さではない事を制作者は気付いているのだろうか!もっとも鑑賞者の側にも同じことが言える。足場を見ず手元しか見ない鑑賞者は見ていて観ていない。超一流から趣味としてしているケースでも共通する評価基準。どのレベルでも足場が最初に問われる。
 
「足場」を実存するもつれた世界に置くと、何処に梯子を架けても結果は似たり寄ったりになるのは明らかだ。ここで重要になって来ることは、「あるべき姿の世界に足場を置く」あるいは「イメージの世界を仮想の足場とする」という「操作」です。「実在可能性が確かにあると感じられる不在」だが、不在を足場にして何かを行ったとしても、実在する問題だらけの世界と作用関係を維持してなくてはなりません。ここが重要なのです。「創作活動の醍醐味は仮定の世界に足場を築き、そこから光り出した感性を掴むこと」だと思います。「実在する現実からの縛りから距離を取り、未知の光を実在の世界に確実に投射させ、機能しているかを見届けること」がなければインパクトにはなりません。惰性的印象を受ける作品には、こういう感性がない。創作の醍醐味を知らずに手を動かしているに過ぎない。
 
作品の評価はどこで決まるのか。「創作物が自分のイメージ通りにできた」だけでは「A=A」の個人的な達成感でしかない。「社会芸術論」を掲げるのは、その延長線上に創作物の「新たな光」が社会に対しポジティブなインパクトを与えたかどうかを問う、ここを評価基準にしようとする意思表明です。「~展に出品」「~展で受賞」「~にモニュメント設置」は間接的で尚且つイメージ的な作用を残すだろうがダイナミックな社会との接点といえるだろうか。より強烈な作用が生じる表現形式は如何なるものか。ここも考え処。硬直した社会構造から利益を得ている勢力は侮れない。軟弱な創作行為や発表形式では太刀打ち出来ない。私は日々感じる。「自分は何者かにコントロールされ、抑圧された世界の中で生きているに過ぎないのでは」と。
ARTとは存在可能性が放つ光のなかの作業
 
以下はその作業を紹介しつつ、自分を見つめ直す作業です。おそらく毎日、何処かを更新している

  Contemporary Art Frontiers
 Theory of Social Art
 by Michio Kuriki
 
「社会芸術論」
TP1 社会問題に密着した感性や作業をARTと定義します 
TP2 優れた意識は分野を問わずART 
TP3 稚拙な意識は破壊行為 
TP4 意識は異質を探る触覚  
TP5 人間は得体の定まらない生き物 
TP6 論を張って妄想に住む 
TP7 倫理と才能は感性と思考を親に持つ
TP8 抽象度の高い意識は人の本籍、説明される意識は人の現住所 
TP9 人間としての禁じ手を生業とする輩をどうする 
TP10 私たちに必要なのは『倫理の法』であり、『恣意的な法』を求めてはならない 
TP11 二択の選択に追い込まれる状況は、その状況認識自体誤っている確率が圧倒的に高い。別の状況設定から生じる選択肢を模索しなくなるからだ  
TP12  ARTは社会が抱える問題に対し、「触媒」或いは「酵素」として確実に機能してるのか。「間接的に影響を与えている」という思い込みで満足しているに過ぎないのではないか
TP13 様々な感性や意識のルーツを探り、多様なアプローチを紹介するサイトです  
 
 
 
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